大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)5068号 判決 1963年9月17日
原告 土生艶子
被告 田中精麦株式会社
主文
被告は原告に対し金七一二、〇〇〇円およびこれに対する昭和三七年一月一一日より右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その七を被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金九一二、〇〇〇円およびこれに対する昭和三七年一月一一日より右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」旨の判決を求め、
一、その請求原因として、
(一) 訴外土生勉は昭和二四年三月被告に雇用され昭和三六年四月二八日頃平均賃金日額金九一二円の支払を受けていた。
(二) 被告は昭和三六年四月頃労働基準法第六二条に違反して女子従業員を深夜業に従事させていたため、泉大津労働基準監督署の臨検が行われることを警戒して、事務所勤務の者にその見張りを行わせ、被告の事務所で営業関係の業務を担当していた訴外土生勉も七日ないし一〇日に一回の割合で右の見張りを命ぜられていた。
(三) 訴外土生勉は昭和三六年四月二八日午後一一時頃被告の命によつて、右見張りの業務に就くため、原動機付自転車(スーパーカブ号)に乗つて進行中、電柱に激突して、頭部その他に負傷し、そのため翌二九日午後一時四〇分頃死亡した。
(四) 従つて右訴外人の使用者たる被告は労働基準法第七九条により、右訴外人の死亡当時その妻であつた原告に対し遺族補償として前記平均賃金の千日分に相当する金九一二、〇〇〇円を支払う義務がある。
(五) よつて原告は被告に対し右遺族補償金九一二、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三七年一月一一日より民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求におよぶ旨陳述し、
二、被告の主張に対し被告が訴外土生勉の入院加療等の費用および葬祭の費用を負担し、原告が被告より右訴外人の退職金一〇〇、〇〇〇円を支給され、右訴外人の死亡により日本生命保険相互会社から生命保険金一〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは、いずれも認めるが右入院加療の費用と葬祭の費用を被告において負担したのは、訴外土生勉の事故が被告の業務上発生したものである以上労働基準法第七五条および第八〇条によつて当然であるし、右訴外日本生命との生命保険契約は、訴外土生勉が、当事者として、これを締結し、同訴外人が被告より支給される賃金の中から保険料を支払つてきたものであるから、被告より支給を受けたものではないというべきである旨陳述した。
三、立証<省略>
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、
(一) 原告主張の請求原因(一)の事実はすべて認め同(二)の事実を否認し、同(三)の事実は被告の命によつて見張りの業務に就くためとの点を除きその余の事実は認め、同(四)の事実は、原告が訴外土生勉の死亡当時その妻であつたことは認めるも、その余の事実は否認する。
(二) 被告は労働基準法第六二条に違反して女子従業員を深夜業に従事させたことはなく、従つて訴外土生勉に労働基準監督署の臨検の見張りを命じた事実は毛頭ない。
(三) 訴外土生勉が死亡した当時、被告は泉大津市旭町一八五番地に本店および本社工場を有し、同市南曾根八三番地の五に南曾根工場を有して各種繊維製品の製造をしており、現在右南曾根工場には男子工員一二名、女子工員四一名が就業し、その内事務所勤務は男子四名女子一名にして、訴外土生勉の死亡当時においても、その人員に大差なく、右訴外人はその死亡当時、右南曾根工場の事務所に勤務し出荷係として記帳を担当していた。
(四) 昭和三六年四月二八日午後五時半頃、右南曾根工場の工場長代理にして出荷係主任であつた訴外鳥居勝は、当日の業務を終えてその社宅に帰つた。訴外土生勉は独り事務所に居残つていたが右訴外鳥居勝の社宅を訪れ、コップに二、三杯酒を飲んで退去し、一旦南曾根工場に帰つた後、右工場を出て、前記本社工場に直行し、同所で入浴の後、居合わせた労務係訴外早野四郎および会計係訴外岸本慶太郎とともに一升五合の酒を平らげたが、訴外土生勉が翌二九日その亡母の法事を泉南郡の山中溪で営むにつき石碑の代金として右訴外岸本慶太郎から被告会社の金一〇、〇〇〇円を借受け右二八日午後一〇時四五分頃右山中溪に赴くべく原動機付自転車カブ号に乗つて前記本社を出発し、国鉄阪和線の泉府中駅に向う途中、我孫子街道において、電柱に激突したものである。
(五) 右我孫子街道は、通常前記被告本社より前記南曾根工場に行く際に通る道路ではなく、被告会社はその就業規則第七条により明らかなように工員の勤務時間を先番、後番、昼番の三部に分けておるのみで深夜業は行つていなかつたばかりでなく、訴外土生勉は昼番のみであつたから、季節により多少の相違はあつても午後六時にはその業務は終了していたもので、訴外土生勉は業務上死亡したものではない。
(六) 従つて被告は労働基準法所定の遺族補償を支払う義務はないのであるが、訴外土生勉の入院費用および葬儀費用の全部合計金七七、〇〇〇円を支払い、退職金の規定はなかつたが、原告に対し退職金として金一〇、〇〇〇円を贈り、原告は被告が保険料を支払つて加入していた生命保険金一〇〇、〇〇〇円の支給も受けているものであるから、被告としては、右訴外人の遺族である原告に対し十分な処置を尽したものというべく、原告の請求に応ずることはできない旨陳述した。
(七) 立証<省略>
理由
一、訴外土生勉が昭和二四年三月以降被告に雇用され、昭和三六年四月二八日午後一一時頃、原動機付自転車(スーパーカブ号)に乗つて進行中、電柱に激突して頭部その他に負傷し、そのため翌二九日午後一時四〇分頃死亡したことは当事者間に争のないところである。
二、原告は、右訴外人の死亡が労働基準法第七九条にいわゆる業務上の死亡に該当する旨主張するので案ずるに、前項の争のない事実に、成立に争のない甲第一号証の一、二、第三者の作成にかかり真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二、昭和三八年五月一五日の撮影にかかるものであることは当事者間に争のない検甲第一号証、成立に争のない乙第一号証、証人田辺満寿美、同永原博の各供述、証人海老弘、同中村トメノ、同早野四郎、同鳥居勝、同岸本慶太郎、同田中実および原告本人の各供述の一部を綜合すれば、訴外土生勉は昭和三六年四月二八日頃、各種繊維製品の製造を目的とする被告に雇用されて、被告経営にかかる泉大津市南曽根八三番地の五所在の南曽根工場において、その事務所に勤務し、右工場において生産する木綿の出荷とその原料である綿糸の入荷に関する仕事を担当し、その就業時間は一応午前七時より午後五時までと定められており、右訴外人は酒に強く、相手が居れば日本酒二升位を飲んでも平気であつた。当時右被告の南曽根工場附近には、多数の紡績工場が存在して、労働基準法第六二条に違反して女子労働者をして午後十時を経過して後も就労させる工場が多かつたが、その取締りに当つていた泉大津労働基準監督署においては右紡績会社がいずれも中小企業であることを考慮し、右工場に対し急に法規どおり厳守させることを避け、徐々に是正してゆく方針をとり、或る程度の深夜業は、これを黙認し、午後一一時前後になつてその監督官は取締のための臨検に同監督署を出発するのを常としていた。前記被告南曽根工場においては約四〇名位の女子労働者が雇用されており、右女子労働者を先番、後番、昼番の三部に分ちその各勤務時間は先番は午前四時より午後二時まで後番は午後二時より午後一二時まで、昼番は午前七時より午後五時までと定められていた。右のとおり被告南曽根工場においても午後一〇時より午後一二時まで深夜業を行つていたので、被告は、昭和三五年頃前記監督署より、女子の深夜業について注意を受けたこともあつた。そして被告は同監督署よりの抜打的臨検を免れるため訴外土生勉および被告の取締役訴外田中実、同田中武を含めて同工場事務所関係勤務の男子従業員六人位に対し輪番制にて同工場就業日の午後十一時頃前記監督官が臨検に来るかどうかの見張りをなし、若し、前記監督署に電燈がついて、監督官が同署を出発したことを発見するや否や、右工場に急報することを命じ、被告は右急報により急遽右南曽根工場の紡績機械の運転を停止し消燈させていた。昭和三六年四月二八日の右見張りの当番は前記訴外田中武であつたが訴外土生勉が同訴外田中武と交替した。そこで訴外土生勉は同日午後五時半頃、被告南曽根工場においてその出、入荷係としての仕事を終つたけれども同夜の前記見張りのため、同工場に居残つて時間待ちをしていたところ、被告の取締役訴外田中実が右工場に来訪し、訴外土生勉に対し訴外鳥居勝方に赴き「同訴外鳥居勝に対し訴外田中実を自動車に乗せて同訴外田中実の自宅まで送つて貰いたい」旨を伝えるように頼んだ。
訴外土生勉は右依頼に応じて直に訴外鳥居勝方に赴いたが、同訴外人方では偶々食事中だつたので二合五勺位の酒を御馳走になつて右工場に帰つた。
訴外土生勉は午後八時頃、泉大津市旭町一八五番地の被告本社に赴き、いつものように同所で入浴した後、偶々居合わせた訴外早野四郎および訴外岸本慶太郎の三人で同所にあつた日本酒一升五合位を飲み、訴外土生勉はその時同所で訴外岸本慶太郎より翌二九日山中溪に持参すべき親の石碑代金一〇、〇〇〇円を借受けた。そして当日二八日にも前記南曽根工場にて女子労働者が一二人位深夜業に従業していたので、同日午後一一時頃訴外土生勉は労働基準監督署よりの臨検の有無を見張りするため被告所有の原動機付自転車に乗つて、訴外早野四郎とともに前記本社を出て被告南曽根工場に赴いた。そして訴外土生勉と訴外早野四郎とは相携えて右工場を出発したが、訴外早野四郎は近道を通つて前記本社に帰り、訴外土生勉は、泉大津労働基準監督署の前を通つてその様子を探り、少し遠廻りをして、右本社に帰るべく我孫子街道を通過している際、過失により電柱に激突して負傷しそのため翌二九日死亡したものであることを認定することができ右認定に反する証人海老弘、同中村トメノ、同早野四郎、同鳥居勝、同岸本慶太郎、同田中実および原告本人の各供述は、たやすく措信できず、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定によれば、訴外土生勉の死亡は同訴外人が被告より命ぜられた労働基準監督官の臨検を見張る業務に従事中の事故に因るものにして、労働基準法第七九条にいうところの業務上の死亡に該当するものということができる。
前記甲第一号証の一の記載が真実に反する部分の多いことは証人早野四郎の供述によつて認めることができるし、成立に争のない乙第二号証の第七条に、前記認定と相違する勤務時間が記載されていても、右乙号証は同号証第九七条により昭和三六年一二月一日より実施されたものであることが認められるので、右甲第一号証の一および乙第二号証の各記載をもつても前記認定を覆すことはできない。
訴外土生勉の死亡の原因となつた事故の発生した時、右訴外人の従事していた業務が前記のとおり労働基準監督官の臨検に対する見張りであり、被告の労働基準法第六二条違反を助長するもので違法の業務であるということができる。一般に自ら不法行為をした者は法の保護を受けることができないのは当然であつて、不法行為を内容とする業務に従事中死亡しても、その遺族は補償を請求できないものといわなければならない。然し右不法とは公序良俗に反する場合または社会の倫理観念によつて非難される強行法規違反の場合に限り、強行法規に反する総ての場合を含むものではないと解すべきである。そうすると、前記認定の如き事情の下において訴外土生勉が従事した労働基準監督官の臨検に対する見張りの業務は、尚労働基準法第七九条にいわゆる業務に該当するものと解するのが相当である。
また訴外土生勉の死亡の原因となつた事故は同訴外人の過失によるものであること前記認定のとおりであるけれども労働者が業務上負傷したりまたは疾病にかかつた場合には労働基準法第七八条の如き規定があるのに、死亡した場合には、右の如き規定のないことからみれば、労働者が業務上死亡した場合には使用者は、労働者の過失の有無を問はず遺族補償を行わなければならないものと解すべきである。
三、そうすると原告が訴外土生勉の死亡した昭和三六年四月二八日当時、同訴外人の妻即ち配偶者であつたことは当事者間に争のないところであるから、被告は労働基準法施行規則第四二条により原告に対し遺族補償を行わなければならない。右訴外人の右死亡当時の平均賃金が日額金九一二円であつたことは当事者間に争のないところであるから、被告は原告に対し労働基準法第七九条に則り、遺族補償として右金九一二円の千日分即ち金九一二、〇〇〇円の支払義務があること明らかである。
四、被告が原告に対し、訴外土生勉の退職金として金一〇〇、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争のないところにして、証人田中実の供述によれば、訴外土生勉は被告に対し退職金の支給を受ける権利を有していなかつたのに、被告が原告に対し恩恵的に、右金一〇〇、〇〇〇円を退職金として給付したことが認められ右認定に反する証拠なく、労働基準法第七九条の遺族補償の制度は、労働者が死亡したとき、その収入によつて生活していた遺族らを路頭に迷わせないように使用者をして、労働者の遺族に一定の金額を支給せしめることを定めたものであるから、使用者より遺族に対し同一趣旨の下に給付したものがあるときは、その限度において、使用者は、遺族補償の責を免れるものと解すべきであり、被告は原告に対し右退職金一〇〇、〇〇〇円の限度においては、その補償義務を免れたものといわなければならない。
次に原告が訴外土生勉の生命保険金一〇〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争のないところである。証人田中実の供述によれば、右生命保険の保険料は、訴外土生勉が被告より支給されていた賃金中より支払われていたものでなく被告の負担において支払われていたことが認められ、これに反する証拠はないので、前記遺族補償の制度に鑑み、右保険金一〇〇、〇〇〇円も被告より原告に対する恩恵的給付と同一視して、被告はその限度において遺族補償の責任を免れるものといわなければならない。
そこで右退職金一〇〇、〇〇〇円および生命保険金一〇〇、〇〇〇円合計二〇〇、〇〇〇円の限度においては、被告は原告に対し遺族補償を免れたものであるから原告の本訴請求中前記遺族補償金中金二〇〇、〇〇〇円の請求についてはこれを失当として棄却しなければならない。
五、よつて原告の本訴請求中、被告に対し前記遺族補償金九一二、〇〇〇円より右退職金および生命保険金計金二〇〇、〇〇〇円を差引控除した金七一二、〇〇〇円並びにこれに対する、本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録編綴の郵便送達報告書によつて明らかな昭和三七年一月一一日より右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内においては、正当であるから、これを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九〇条第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 常安政夫)